井上酒造の歴史
神からの啓示
当社は、寛政元年(西暦1789年)に井上家6代目要七によって創業されました。
当時農業を営んでいた要七が、新しい商売をもとめて城下町小田原への道すがら石につまずき、ふとその石を見ると徳利の形をしていた。これは酒造りをしなさいという神の啓示であると考え酒造業を始めたという逸話が今でも語り継がれております。その石は、今でも井上家の家宝として大切に保存されています。
以来、今日に至るまで酒屋2代目吟造、3代目惣兵衛、4代目定次郎、5代目満之助、6代目善雅と受け継がれ、現在の7代目に至るまで創業当時と変わらず箱根の麓、足柄平野大井の庄(神奈川県足柄上郡大井町)で酒を造り続けております。
当時農業を営んでいた要七が、新しい商売をもとめて城下町小田原への道すがら石につまずき、ふとその石を見ると徳利の形をしていた。これは酒造りをしなさいという神の啓示であると考え酒造業を始めたという逸話が今でも語り継がれております。その石は、今でも井上家の家宝として大切に保存されています。
以来、今日に至るまで酒屋2代目吟造、3代目惣兵衛、4代目定次郎、5代目満之助、6代目善雅と受け継がれ、現在の7代目に至るまで創業当時と変わらず箱根の麓、足柄平野大井の庄(神奈川県足柄上郡大井町)で酒を造り続けております。
時代の変遷と共に銘柄も変化
創業以来230年が経過しておりますが、その間時代の変遷と共に銘柄も変化を重ねてまいりました。昭和に入って終戦前後まで「國基」(コクキ)という銘柄で出荷し、その後は「東祝」(アズマイワイ)とその銘柄が変わってまいりました。
箱根山誕生
今から50余年前、昭和42年に西ドイツ(現ドイツ)への輸出を始めるにあたり海外でも通用する銘柄を検討した結果、当社から毎日眺めることができ日本を代表する世界的な観光地=箱根に因んで「箱根山」(ハコネヤマ)という銘柄に決定、商標登録し、当初は輸出専用銘柄として使用しておりましたが、今日では当社を代表する銘柄となっております。
他に「箱根薔薇」「箱根七福神」などの銘柄商品があります。
また10数年前より純米酒造りを得意とする能登杜氏を起用、米の味を生かした酒造りを目標に掲げ、米の味にこだわった純米酒「仙鳴郷」(センメイキョウ)、そして平成28年10月には地元の農業の振興に少しでも寄与したいとの思いから、地元足柄平野で栽培された酒造好適米=吟のさとを使った純米吟醸酒「左岸」(サガン)を発売、平成30年2月には地元大井町高尾地区の棚田で栽培した酒米を使い純米酒「夢高尾」を発売いたしました。
他に「箱根薔薇」「箱根七福神」などの銘柄商品があります。
また10数年前より純米酒造りを得意とする能登杜氏を起用、米の味を生かした酒造りを目標に掲げ、米の味にこだわった純米酒「仙鳴郷」(センメイキョウ)、そして平成28年10月には地元の農業の振興に少しでも寄与したいとの思いから、地元足柄平野で栽培された酒造好適米=吟のさとを使った純米吟醸酒「左岸」(サガン)を発売、平成30年2月には地元大井町高尾地区の棚田で栽培した酒米を使い純米酒「夢高尾」を発売いたしました。
また、SDGs(持続可能な開発目標)への取り組みとして令和2年9月より使用電力を太陽光発電を中心とした100%再生可能エネルギーに切り替え、令和3年4月にはその太陽光パネルの下で自然栽培した米で造った「推譲」を発売しました。
日本人が持ち続けてきた繊細な和の心を守り、造り手のこころを相和して、飲んだ人の心が和める酒を造りたいという願いのもと、伝統を守りつつ時代の変化に対応した酒造り、そして食事と一緒に楽しめる食中酒造りを目指しております。
日本人が持ち続けてきた繊細な和の心を守り、造り手のこころを相和して、飲んだ人の心が和める酒を造りたいという願いのもと、伝統を守りつつ時代の変化に対応した酒造り、そして食事と一緒に楽しめる食中酒造りを目指しております。